なんとわが教室でカープグッズ第一号といわている伝説的な鉛筆が発見されたのです!!
さらに広島市へ寄付したところ(またしても!)中国新聞に掲載されました。
教室では毎月たくさん鉛筆を使うのですが、新品だとそろばんをやる際に長すぎて都合が悪いので半分に切って使用しています。ですから使いかけの鉛筆が沢山あると聞けば喜んでもらっています。
この鉛筆も7~8年前に母親がもらってきた大量の使いかけの鉛筆のなかに紛れていました。中国新聞の記者さんから「誰からもらったのですか?」と質問を受けたのですが、母親曰く「まったく記憶にない」とのこと(笑)
記者さんが色々調べてくれた結果、この鉛筆は1951年頃にカープ女子後援会が製作したものだとわかりました。この時代にもカープ女子が存在したのですね。
1951年の広島といえば深刻な物不足だったはずです。にもかかわらず大切に保管していたことを考えるとカープファンとしては込み上がるものがあります(涙)
実はこの水色の未使用品のほかに使いかけの黄色の鉛筆が2本あったのですが、なんと教室で使ってしまいました。なにせ伝説の鉛筆。7~8年前はネットで検索しても実物はおろかまったく情報が出てこなかったのです。それで鉛筆が足りなくなったときに「伝説の鉛筆なんて存在せんわ」と自分に言い聞かせて使ってしまいました・・。黄色の鉛筆はいまだ未発見なので今となっては後悔の嵐です。※水色は自分のを含めて2本ほど確認されている
この鉛筆の記事を人に話すと「売れば相当な金額になったのでは?」という人が多いのですが、この鉛筆がもつ歴史的な価値はまさにプライスレス! お金には替えられません!!
記者さんが色々調べてくれた結果、この鉛筆は1951年頃にカープ女子後援会が製作したものだとわかりました。この時代にもカープ女子が存在したのですね。
1951年の広島といえば深刻な物不足だったはずです。にもかかわらず大切に保管していたことを考えるとカープファンとしては込み上がるものがあります(涙)
実はこの水色の未使用品のほかに使いかけの黄色の鉛筆が2本あったのですが、なんと教室で使ってしまいました。なにせ伝説の鉛筆。7~8年前はネットで検索しても実物はおろかまったく情報が出てこなかったのです。それで鉛筆が足りなくなったときに「伝説の鉛筆なんて存在せんわ」と自分に言い聞かせて使ってしまいました・・。黄色の鉛筆はいまだ未発見なので今となっては後悔の嵐です。※水色は自分のを含めて2本ほど確認されている
この鉛筆の記事を人に話すと「売れば相当な金額になったのでは?」という人が多いのですが、この鉛筆がもつ歴史的な価値はまさにプライスレス! お金には替えられません!!